特許を巡る争い<68>味の素株式会社・消化管バリアー機能改善特許

味の素の特許第6806208号は、激しい運動に伴う消化管のバリア機能低下(異物、腸内細菌または腸内細菌が産生する毒素等が消化管を通じて体内に侵入しやすい状態)を改善する、アミノ酸の一種(ヒスチジン)を有効成分とする組成物に関する。新規性欠如及び進歩性欠如の理由で異議申立てされたが、いずれの申立理由も認められず、権利維持された。

味の素株式会社の特許第6806208号 “消化管障害を改善する組成物”を取り上げる。

特許第6806208号の特許公報に記載された特許請求の範囲は、以下の通りである。https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-6806208/0B89FE567040E52C67876531F10696A624947A44E9EF9F4E39B0EC3840FC2E05/15/ja

【請求項1】

ヒスチジンまたはその塩を有効成分として含有する、運動誘発性の消化管バリア機能低下を改善するための経口組成物。

【請求項2】~【請求項9】 省略

ヒスチジン”は、アミノ酸の一種である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%B8%E3%83%B3)。

また、本特許発明における“運動誘発性の消化管バリア機能低下”とは、本特許明細書によれば、“運動(特に、激しい運動)に伴って発現する消化管バリア機能の低下をいう”と記載されている。

そして、“消化管バリア機能低下”とは、“消化管の上皮細胞間のバリアが破綻することをいい、消化管の透過性が亢進して異物、腸内細菌または腸内細菌が産生する毒素等が消化管を通じて体内に侵入しやすい状態をいう”と記載されている。

消化管障害が運動誘発性であるか否かの判別方法としては、

例えば、TNF-αの有意な上昇は確認できないが、消化管障害が起きている場合、その消化管障害は運動誘発性であると判別し得る”と記載されている。

そして、”ストレス性の腸疾患や炎症性腸疾患は炎症に起因するものであり、これらと運動誘発性の消化管バリア機能の低下とは、メカニズムや状態において異なると考えられる”と記載されている。

公開公報に記載された特許請求の範囲は、以下の通りである(特開2020-50655 https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2020-050655/0B89FE567040E52C67876531F10696A624947A44E9EF9F4E39B0EC3840FC2E05/11/ja)。

【請求項1】

(i)ヒスチジン、(ii)バリン、ロイシンおよびイソロイシン、(iii)クロロゲン酸化合物、並びに、(iv)α-リポ酸化合物からなる群より選ばれる少なくとも一つを有効成分として含有する、運動誘発性の消化管バリア機能低下を改善するための経口組成物。

【請求項2】~【請求項10】 省略

特許公報に記載された請求項1と比較すると、有効成分をヒスチジンとその塩に限定して、特許査定を受けている。

特許公報の発行日(2021年1月6日)の半年後(2021年7月6日)、一個人名で異議申立てがなされた。

審理の結論は、以下のようであった(異議2021-700641 https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2019-169749/0B89FE567040E52C67876531F10696A624947A44E9EF9F4E39B0EC3840FC2E05/10/ja)。

特許第6806208号の請求項1~9に係る特許を維持する。

異議申立人は、甲第1号証~甲第11号証を証拠として提出し、新規性欠如および進歩性欠如を理由として、異議申立てを行った。具体的には、以下であった。

(1)新規性欠如

本件発明1~2、5~9は、甲1、甲10又は甲11に記載された発明であるし、本件発明3~4は、甲10又は甲11に記載された発明である”。

“(以下、甲1、甲10又は甲11に記載された発明に基づく新規性欠如の申立理由を、それぞれ、「申立理由1-1」~「申立理由1-3」という。)“

(2)進歩性欠如

本件発明1~9は、甲1、甲10又は甲11に記載された発明、及び本件特許の優先日前の周知技術に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものである”。

“(以下、甲1、甲10又は甲11を主引例とする進歩性欠如の申立理由を、それぞれ、「申立理由2-1」~「申立理由2-3」という。)“

甲第1号証:科研費 科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書 平成25年6月3日現在、課題番号:22590710 研究課題名(和文)損傷消化管粘膜上皮における塩基性アミノ酸ヒスチジンの機能性研究 研究代表者 市川 寛

(URL:https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-22590710/、検索2021年7月5日)

甲第10号証:特開2011-121887号公報

甲第11号証:国際公開第2012/140132号及びその翻訳としての特表2014-514304号公報

以下、本特許請求項1に係る発明(本件発明1)に絞って、審理結果を紹介する。

(A)甲第1号証を引例とする新規性欠如・進歩性欠如(申立理由1-1、申立理由2-1)についての審理

審判官は、本件発明1と甲1発明(甲第1号証に記載された発明)を対比して、以下の一致点および相違点を認めた。

<一致点> ヒスチジンまたはその塩を含有する組成物。

<相違点1> ヒスチジンまたはその塩を含有する組成物が、

本件発明1では、「経口」用のものであるのに対し、

甲1発明では「小腸粘膜上皮細胞による円形上皮欠損モデルを用いた実験」のためのものであって、「経口」用のものではない点。

<相違点2> ヒスチジンまたはその塩を含有する組成物について、

本件発明1では、「運動誘発性の消化管バリア機能低下を改善するため」のものであり、ヒスチジンまたはその塩がそのための「有効成分」であることが特定されているのに対し、

甲1発明では、かかる特定はされていない点。“

(A-1)新規性欠如(申立理由1-1)についての審理

審判官は、“本件発明1と甲1発明は、相違点1及び相違点2で相違しているところ、これらの相違点が実質的な相違点であることは当業者に明らかである。よって、本件発明1について、甲1に記載された発明であるということはできない“と結論した。

(A-2)進歩性欠如(申立理由2-1)についての審理

審判官は、相違点2について、以下のように判断した。

“甲2~7を含め、申立人が提出したいずれの証拠を参酌しても、

「運動誘発性の消化管バリア機能低下」の状態が、甲1に記載される、小腸粘膜上皮細胞の増殖の抑制や小腸粘膜上皮細胞の修復過程の遅延を引き起こす「ヒスチジンの欠乏で生じる」状態と同じ状態であることは示されていないし、

また、ヒスチジン欠乏による細胞増殖率の抑制を回復させる作用のある甲1発明のヒスチジン含有組成物が、「運動誘発性の消化管バリア機能低下の改善のため」にも有効であり、当該ヒスチジン含有組成物の投与により「運動誘発性の消化管バリア機能低下の改善」が行えることが、本件特許の優先日前に既知であったとも解されない。

そうすると、申立人が提出したいずれの証拠からも、当業者は、甲1発明を相違点2に係る本件発明1の構成を備えたものとすることを動機付けられるとはいえない。“

“本件明細書の実施例1には、ヒスチジンを経口で投与することにより「運動誘発性の消化管バリア機能低下」の改善が行えたことを示す結果が記載されており、この効果は、甲1をはじめ申立人が提出したいずれの証拠の記載からも、当業者が予測できない効果である。”

以上の理由から、審判官は、“本件発明1は、甲1発明並びに甲2~9及び11に示される本件特許の優先日前の周知技術から当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない”と結論した。

(B)甲第10号証を引例とする新規性欠如・進歩性欠如(申立理由1-2、申立理由2-2)についての審理

審判官は、本件発明1と甲10発明(甲第10号証に記載された発明)とを対比して、以下の一致点および相違点を認めた。

“<一致点> ヒスチジンまたはその塩を含有する組成物。”

“<相違点1’> ヒスチジンまたはその塩を含有する組成物が、

本件発明1では、「経口」用のものであるのに対し、

甲10発明では、「炎症モデル作成方法により作成された炎症モデルの<評価試験>において評価するためのものであって、「経口」用のものではない点。

<相違点2’> ヒスチジンまたはその塩を含有する組成物について、

本件発明1では、「運動誘発性の消化管バリア機能低下を改善するため」のものであり、ヒスチジンまたはその塩がそのための「有効成分」であることが特定されているのに対し、

甲10発明では、かかる特定はされていない点。“

(B-1)新規性欠如(申立理由1-2)についての審理

審判官は、“本件発明1と甲10発明は、相違点1’及び相違点2’で相違しているところ、これらの相違点が実質的な相違点であることは当業者に明らかである。よって、本件発明1について、甲10に記載された発明であるということはできない“と結論した。

(B-2)進歩性欠如(申立理由2-2)についての審理

審判官は、相違点2’について、以下のように判断した。

a.甲10には、甲10発明のサンプルNo.1のアミノ酸組成からなるアミノ酸組成物が、TNF-αによって誘導される炎症性サイトカインの産生に起因する単層膜のタイトジャンクションに生じる傷害が好適に低減されている可能性に基づいて、炎症性腸疾患の改善に有用であることが推察されている。”

b.一方、本特許明細書には、“「TNF-αの有意な上昇は確認できないが、消化管障害が起きている場合、その消化管障害は運動誘発性であると判別し得る。」“等の記載から、“本件発明1の「運動誘発性の消化管バリア機能低下」は、甲10発明の炎症モデルのようにTNF-αにより引き起こされる炎症(消化管障害)とは異なる状態であると解される。

c.“申立人が提出した他のいずれの証拠からも、「TNF-αの作用により引き起こされる炎症」に基づく単層膜のタイトジャンクションの低下と、「運動誘発性」のタイトジャンクションの低下が同じ現象であって、

TNF-αにより引き起こされる炎症に基づく単層膜のタイトジャンクションの低下を改善できる組成物であれば、「運動誘発性」のタイトジャンクションの低下(消化管バリア機能低下)も改善できることが本件特許の優先日前の既知の知見であったことは示されていないし、そのような本件特許の優先日前の技術常識があったとも解されない。

d.したがって、”当業者は、甲10発明の組成物が「運動誘発性の消化管バリア機能低下」の改善のために有用であることを理解することはできないのであるから、当業者は、甲10発明の組成物を、「運動誘発性の消化管バリア機能低下」の改善のためのものとすることを動機付けられるとはいえない。

これらの理由などから、審判官は、“本件発明1は、甲10発明及び甲2~7に示される本件特許の優先日前の周知技術から当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない”と結論した。

(C)甲第11号証を引例とする新規性欠如・進歩性欠如(申立理由1-2、申立理由2-2)についての審理

審判官は、本件発明1と甲11発明(甲第11号証に記載された発明)とを対比して、以下の一致点および相違点を認めた。

<一致点>ヒスチジンまたはその塩を含有する消化管バリア機能低下を改善するための経口組成物。”

<相違点1’’> ヒスチジンまたはその塩を含有する経口組成物により改善される「消化管バリア機能低下」が、

本件発明1では、「運動誘発性」の消化管バリア機能低下であり、また、ヒスチジンまたはその塩がその「有効成分」とされているのに対し、

甲11発明では、「感染症、敗血症、吸収不良、アレルギー、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、下痢、及びそれらの組み合わせからなる群から選択される状態に関連」する消化管のバリア機能(低下)の改善であり、その有効成分は分枝鎖脂肪酸であって、ヒスチジンは、栄養組成物に含まれるアミノ酸として列記される中の1成分である点。

(C-1)新規性欠如(申立理由1-3)についての審理

審判官は、”本発明において「運動誘発性の消化管バリア機能低下」とは、運動(特に、激しい運動)に伴って発現する消化管バリア機能の低下をいうのに対して、

甲11発明の消化管バリア機能の低下は、「感染症、敗血症、アレルギー」等の細菌由来の毒素等の異物が体内に侵入して引き起こされる疾患や「炎症性腸疾患、過敏性腸症候群」等の炎症性腸疾患に関連するものであるから“、

“甲11発明の消化管バリア機能の低下状態は、本件発明1の「運動誘発性」の消化管障害とは異なる状態であると解されることから”、“相違点1’’は実質的な相違点である。よって、本件発明1について、甲11に記載された発明であるということはできない。“と結論した。

(C-2)進歩性欠如(申立理由2-3)についての審理

審判官は、相違点1’’について、以下のように判断した。

a.本件明細書の記載から、“本件発明1の「運動誘発性」の消化管バリア機能低下は、運動(特に、激しい運動)に伴って発現し、運動による体温上昇や血流低下等が主要因であると考えられ、細菌等の異物が体内に侵入した結果引き起こされる体調悪化や、炎症に起因する炎症性腸疾患は、本件発明1の「運動誘発性」の消化管バリア機能の低下とは異なる状態であると解される。

“一方、甲11には、甲11発明の組成物が「運動誘発性」のバリア機能低下の改善に有用であり、「運動誘発性」のバリア機能低下の改善に適用できることは記載されていない。また、甲11発明の消化管バリア機能の低下は、「感染症、敗血症、アレルギー」等の細菌由来の毒素等の異物が体内に侵入して引き起こされる疾患や「炎症性腸疾患、過敏性腸症候群」等の炎症性腸疾患に関連するものであるから、本件明細書の上記記載によれば、甲11発明の消化管バリア機能の低下状態は、本件発明1の「運動誘発性」の消化管障害とは異なる状態であると解されるし”、この理解は、周知技術とも整合するものである。

また、“他の証拠を参酌しても、甲11発明の「感染症、敗血症、吸収不良、アレルギー、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、下痢、及びそれらの組み合わせからなる群から選択される状態に関連する消化管バリア機能低下」と、「運動誘発性」の消化管バリア機能低下が同じ状態であって、

「感染症、敗血症、吸収不良、アレルギー、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、下痢、及びそれらの組み合わせからなる群から選択される状態に関連する消化管バリア機能低下」の改善に有用な組成物であれば、「運動誘発性」のバリア機能低下の改善にも有効であることが本件特許の優先日前の既知の知見であったことは示されていないし、そのような本件特許の優先日前の技術常識があったとも解されない。

b.甲11及び他のいずれの証拠の記載を参酌しても、ヒスチジンが「運動誘発性」のバリア機能低下の改善に有効であることについての記載や示唆はなく”、ヒスチジンは甲11発明において、“アミノ酸成分として列記される多数のアミノ酸の1つに過ぎないし”、甲11には、アミノ酸以外に“多岐にわたる成分が記載されており、

かかる甲11の記載に接した当業者が、多岐にわたる成分の中からアミノ酸に着目し、さらに、多数列記されるアミノ酸からヒスチジンに着目してその薬理活性を確認し、「運動誘発性」のバリア機能低下の改善のための「有効成分」とすることまでが容易であるとは到底いえない。

甲11には、「感染症、敗血症、吸収不良、アレルギー、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、下痢、及びそれらの組み合わせからなる群から選択される状態に関連する消化管バリア機能低下」の改善作用についてすら、その薬理効果が奏されることを示す薬理試験結果は一切記載されていない。

これらの理由などから、審判官は、“本件発明1は、甲11発明及び甲2~7に示される本件特許の優先日前の周知技術から当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない”と結論した。