特許を巡る争い<58>アサヒビール・アルコール飲料特許

アサヒビール株式会社の特許第6829935号は、柑橘成分リモネンの劣化臭が抑制されたアルコール飲料に関する。日本香料工業会から新規性・進歩性欠如、記載不備(サポート要件、明確性要件)の理由で異議申立てされたが、いずれの主張も採用されず、そのまま権利維持された。

アサヒビール株式会社の特許第6829935号“アルコール飲料”を取り上げる。

特許第6829935号の特許公報に記載された特許請求の範囲は、以下の通りであるhttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-6829935/CA13A8FA8EEB21DD6165A923C6D3EFFD511109734D1DE2DC39D68C85B994896C/15/ja)。

【請求項1】

リモネンと、ポリフェノール成分とを含む、アルコール飲料であって、

前記アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含み、

前記ポリフェノール成分は、プロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分である、

シトラス風味のアルコール飲料

(ただし、ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの、多価不飽和脂肪酸エマルションを含むもの、並びに、ワイン又は果実ワインを含むものを除く)。

【請求項2】~【請求項5】省略

詳細の説明には、“ 従来、シトラスフレーバーを飲料等に添加することにより、飲料等にレモンのような柑橘類特有の風味を加えることが広くなされている。”

しかし、“シトラスフレーバーに含まれる香気成分は、加熱を行うこと、あるいは長期的に保存することにより他の成分に変換されてしまうことが知られている。”

本発明者らは、上述のシトラスフレーバーに含まれる香気成分のうち、リモネンを効果的に劣化抑制する技術の開拓を目指し、検討を行った。

上記の課題を解決するために、本発明者らが鋭意検討したところ、リモネンを含有する製品に、特定のポリフェノールを作用させた際、極めて顕著な劣化臭抑制作用が発揮されることを見出した。

特定のポリフェノールを含有させる作用効果について、“本発明者らは、このp-サイメンに由来する灯油のような臭いがリモネンの香気を損なう原因となることを見出した。

また、本実施形態の劣化臭生成抑制方法によりこのp-サイメンの生成を効果的に抑制できることから、結果として、効果的にリモネンの香気を保つことができることを見出した”と記載されている。

本特許の公開時の特許請求の範囲は、以下の通りである(特開2016-198081、

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2016-198081/CA13A8FA8EEB21DD6165A923C6D3EFFD511109734D1DE2DC39D68C85B994896C/11/ja)。

【請求項1】

リモネンと、ポリフェノール成分とを含むリモネン含有製品であって、

前記ポリフェノール成分は、プロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分である、

リモネン含有製品。

【請求項2】~【請求項10】省略

公開公報と特許公報に記載された請求項1について比較すると、“リモネン含有製品”が“シトラス風味のアルコール飲料”に減縮され、ポリフェノール成分含有量の要件を追加されており、この補正によって特許査定を受けている。

なお、公開公報に記載された発明の名称は、“リモネン含有製品、香料組成物および劣化臭生成抑制方法”であったが、特許公報では“アルコール飲料”となっている。

特許公報発行日(2021年2月17日)の約半年後(2021年8月5日)に、日本香料工業会から異議申立てがなされた(異議2021-700775、 https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2016-198081/CA13A8FA8EEB21DD6165A923C6D3EFFD511109734D1DE2DC39D68C85B994896C/11/ja)。

審理の結論は、以下のようであった。

“特許第6829935号の請求項1ないし5に係る特許を維持する。”

特許異議申立人が申し立てた理由は、以下の7点だった。

[理由1-1]新規性欠如

“本件発明1~5は、本件特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明である、甲第1号証に係る発明である

[理由1-2]新規性欠如

“本件発明1~5は、本件特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明である、甲第10号証に係る発明である

[理由2-1]進歩性欠如

“本件発明1~5は、本件特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明である、甲第1~4号証に係る発明に基いて、本件特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものである”

[理由2-2]進歩性欠如

“本件発明1~5は、本件特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明である、甲第5~9号証に係る発明に基いて、本件特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものである”

[理由2-3]進歩性欠如

“本件発明1~5は、本件特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明である、甲第10~14、4号証に係る発明に基いて、本件特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものである”

[理由3]サポート要件違反

“本件発明1~5に係る特許は、特許請求の範囲の記載が特許法第36条第6項第1号に適合しない”

[理由4]明確性要件違反

“本件発明1~5に係る特許は、特許請求の範囲の記載が特許法第36条第6項第2号に適合しない”

以下、本特許発明の請求項1に関する審理結果を紹介する。

(1)甲1号証(特開2014-14321号公報)を主引用例とする理由([理由1-1]新規性欠如、[理由2-1]進歩性欠如)について

審判官は、本件発明1(本特許発明請求項1に係る発明)と甲1発明(甲1号証に記載された発明)とを対比して、以下の一致点及び相違点を認めた。

<一致点>

“「リモネンと、ポリフェノール成分とを含む、アルコール飲料であって、

前記ポリフェノール成分は、プロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分である、アルコール飲料

(ただし、多価不飽和脂肪酸エマルションを含むもの、並びに、ワイン又は果実ワインを含むものを除く)。」である点“

<相違点1-1-1> 省略

<相違点1-1-2> 省略

<相違点1-1-3>

“本件発明1は「ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの」を「除く」と特定しているのに対し、甲1発明はそのようなものに相当するか否かが不明である点。

相違点1-1-3について、審判官の新規性に係る判断は、以下のようであった。

甲1には、「ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの」を「除く」ことは記載されていない。

“甲1発明においてオレンジ果汁の使用量はBrix換算値(%)で3.4であるところ、そのことのみでは、本件発明1で除かれている「ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの」に該当するかは不明である。”

甲17には、オレンジジュースの糖用屈折計示度に関するBx規格が記載されているが、

甲1発明においてBrix換算値(%)で3.4とされていても、その値から甲1発明の飲料におけるオレンジジュースのストレート換算での濃度を算定することはできず、

甲1発明が「ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの」ではないということもできない。

上記から、審判官は、“他の相違点について検討するまでもなく、本件発明1は、甲1に記載された発明であるということはできない“と結論した。

また、進歩性に係る判断は、以下のようであった。

甲1には、「ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの」ではない飲料とすることについて何ら示唆がされていない。

甲2、甲3、甲4の“甲各号証の記載及び技術常識を参酌しても、甲1発明について、「ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの」を「除く」とすることが当業者が容易になし得た事項であるということはできない。

“本件発明1は、リモネンを含有する製品として、その劣化臭の生成が十分に抑制された製品を実現することができるという、当業者が予測し得ない顕著な効果を奏するものである”

上記から、審判官は、“他の相違点について検討するまでもなく、本件発明1は甲1~4に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものであるということはできない”と結論した。

(2)甲第5号証(特開2003-79335号公報)を主引用例とする理由([理由2-2]進歩性欠如)について

審判官は、本件発明1と甲5発明(甲第5号証に記載された発明)とを対比して、以下の一致点及び相違点を認めた。

<一致点>

“「リモネンを含む、飲料であって、シトラス風味の飲料

(ただし、ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの、多価不飽和脂肪酸エマルションを含むもの、並びに、ワイン又は果実ワインを含むものを除く)。」である点“

<相違点1-5-1> 省略

<相違点1-5-2>

“本件発明1は「ポリフェノール成分」を「含」み、「前記アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含み、

前記ポリフェノール成分は、プロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分である」と特定しているのに対し、

甲5発明は、カキタンニンが所定量添加されているが、

ポリフェノール成分は、プロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分であることが特定されていない点”

相違点1-5-2についての進歩性に係る審判官の判断は、以下のようであった。

“甲5には、レモン飲料にプロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分を所定量添加することについては記載も示唆もされていない。”

“甲6~9の記載及び技術常識を参酌しても、甲5発明1において、上記相違点1-5-2に係る本件発明1の技術的事項を採用することが当業者が容易になし得た事項であるということはできない。”

“本件発明1は、リモネンを含有する製品として、その劣化臭の生成が十分に抑制された製品を実現することができるという、当業者が予測し得ない顕著な効果を奏するものである”

上記から、審判官は、“他の相違点について検討するまでもなく、本件発明1は甲5~9に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものであるということはできない”と結論した。

(3)甲10号証を主引用例とする理由([理由1-2]新規性欠如、[理由2-3]進歩性欠如)について

甲第10号証:クックパッド,カリフォルニアざくろのカクテル,2014年11月6日公開、令和3年7月13日検索,インターネット,<URL:https://cookpad.com/recipe/2871269>

審判官は、本件発明1と甲10発明(甲第10号証に記載された発明)とを対比して、以下の一致点及び相違点を認めた。

<一致点>

“「リモネンと、ポリフェノール成分とを含む、アルコール飲料であって、

前記ポリフェノール成分は、プロアントシアニジン、エラジタンニンおよびガロタンニンからなる群から選ばれる1種又は2種以上のポリフェノール成分である、アルコール飲料

(ただし、ストレート換算で3~30%の果汁を含むもの、多価不飽和脂肪酸エマルションを含むもの、並びに、ワイン又は果実ワインを含むものを除く)。」である点

<相違点1-10-1>

“本件発明1が「アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含」むと特定しているのに対し、

甲10発明はそのような特定をしていない点。“

<相違点1-10-2> 省略

相違点1-10-1について、審判官の新規性に係る判断は、以下のようであった。

甲10には、アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含むことは記載されていない。

甲10には、実施例として、カリフォルニアざくろのカクテルの配合が記載されている。

甲13の“シングルストレングスざくろ果汁”に含まれるはフェノール類(94%はプニカラジン)の記載から、“甲10発明のカクテルにおけるブニカラジンの濃度は、約417ppm(2216×0.94×30/150)と算出される。”(417ppb=0.417pm)

“しかし、甲10発明のカクテルには、グレープフルーツジュース、ライム果汁が相当量含まれており、これらにプロアントシアニジン、エラジタンニン又はガロタンニンが一切含まれていないかは不明であるから、甲10発明が、ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含むか否かは不明である”

“そして、甲10発明が「アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含」むということもできない。”

上記から、審判官は、“他の相違点について検討するまでもなく、本件発明1、甲10に記載された発明であるということはできない“と結論した。

また、進歩性に係る判断は、以下のようであった。

“甲10には、アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含むものとすることは示唆されていない。”

甲11、甲12、甲13、甲14及び甲4の“甲各号証の記載及び技術常識を参酌しても、甲10発明について、「アルコール飲料全体に対して、前記ポリフェノール成分を0.01ppm以上500ppm以下含」むとすることが当業者が容易になし得た事項であるということはできない。”

“本件発明1は、リモネンを含有する製品として、その劣化臭の生成が十分に抑制された製品を実現することができるという、当業者が予測し得ない顕著な効果を奏するものである”

上記から、審判官は、“他の相違点について検討するまでもなく、本件発明1は甲10~14、4に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものであるということはできない”と結論した。

(4)[理由3]サポート要件違反について

異議申立人が主張した申立て理由は、以下のようであった。

“本件発明1はアルコール飲料中のポリフェノール含量が0.01~500ppmであることが規定されているが、本件明細書の実施例1~16には、添加されたポリフェノール量は0.1ppm又は1.0ppmの2例の記載しかない。”

“したがって、実施例1~16のポリフェノール量0.1ppm又は1.0ppmのみの試験結果をもって、1ppmを超え500ppm以下の範囲にまで、実施例に開示された内容を拡張ないし一般化することはできない。よって、本件発明1~5は、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものである。“

上記主張に対しての審判官の判断は、以下のようであった。

“本件明細書(特に【0009】)及び特許請求の範囲の全体の記載事項並びに出願時の技術常識からみて、本件発明の解決しようとする課題は、「リモネンの劣化臭の生成が十分に抑制された製品を提供すること」であると認める。”

本発明者らは、“このp-サイメンに由来する灯油のような臭いがリモネンの香気を損なう原因となることを見出し、本実施形態の劣化臭生成抑制方法によりこのp-サイメンの生成を効果的に抑制できることから、結果として、効果的にリモネンの香気を保つことができることを見出したこと(【0024】)、リモネンの含有量に関する事項(【0025】)、ポリフェノール成分の種類及びその量に関する事項(【0027】~【0032】)が記載されている。

“また、実施例1~16、比較例1として、各種ポリフェノール成分を0.1又は1.0ppm、リモネンを含むアルコール飲料及びフェノール類を含まないアルコール飲料について、p-サイメンの分析結果が示されており、ポリフェノール成分を加えることで、リモネンの劣化を顕著に抑制できることが認められること(【0058】)が記載されている。”

上記から、審判官は、

“本件発明の詳細な説明には、本件発明における各成分及びその量等についての記載、ポリフェノール成分を配合することの技術的意義の記載、及びその具体的な裏付けの記載があるといえることから、本件発明は、発明の詳細な説明に記載された発明であり、当業者が、出願時の技術常識に照らし、上記課題を解決できると認識できる範囲のものであるといえる“と結論した。

(5)[理由4]明確性要件違反について

異議申立人が主張した申立て理由は、以下のようであった。

“令和1年10月17日付け手続補正書によって、請求項1の「リモネンと、ポリフェノール成分とを含むリモネン含有製品」が、「リモネンと、ポリフェノール成分とを含むアルコール飲料」に補正され、リモネン含有製品がアルコール飲料に特定された。”

“本件出願に係る令和2年7月9日付け意見書(甲16)の(6)(6-2)(i)において、特許権者は、”引用発明をアルコール飲料に変更することは、引用文献の開示を超えることであり、当業者といえども、引用発明を出発点として、アルコール飲料という相違点に係る構成を導くことは決して容易ではありません。」と述べて、アルコール飲料とレモン飲料の差異を強調している。“

しかし、レモン飲料とアルコール飲料との差異は、“要するに、単に溶媒を水からアルコール水溶液(5%の低濃度)に変えただけに過ぎない。”

“本件発明1~5は物の発明であり、物を生産する方法の発明ではない。

よって、本件発明1~5において「アルコール飲料」に特定した意味が不明確である“

上記主張に対しての審判官の判断は、以下のようであった。

“一般的に、「アルコール飲料」とはアルコールを含有する飲料のことをいうといえ(広辞苑、第六版、DVD-ROM版、「アルコール飲料」の項)、本件明細書にも、それと矛盾する記載はない”

“特許異議申立人の主張は、アルコール飲料に特定した意味が不明確であるというものであるが、たとえ、アルコール飲料に特定した意味が不明確であったとしても、そのことにより、特許請求の範囲の「アルコール飲料」との記載が不明確となるということはできず、上述のとおり、「アルコール飲料」に不明確な点はない。“

上記から、審判官は、

“本件発明における「アルコール飲料」は明確であり、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるということはできない“と結論した。