特許を巡る争い<120>サントリー・高級茶香り付与物特許

サントリーホールディングス株式会社の特許第7558183号は、特定香気成分及び煎茶抽出物を含有する、高級茶の香りを食品に付与する固形物に関する。進歩性欠如及びサポート要件違反を理由として、異議申立てられたが、いずれの理由も認められず、そのまま権利維持された。

サントリーホールディングス株式会社の特許第7558183号“青海苔香を有する固形組成物”を取り上げる。

特許第7558183号発明の特許公報に記載された特許請求の範囲は、以下であるhttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-7558183/15/ja)。

【請求項1】

ジメチルスルフィド及びβ-イオノンを含有し、

β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~0.8であり、

煎茶の茶葉抽出物を含有する、固形組成物。

【請求項2】~【請求項5】省略

本特許公報には、“茶飲料の中でいわゆる高級緑茶が有する特徴的な香気として、青海苔香と呼ばれるものがあ”り、“青海苔香”とは、ほのかな香ばしさ、甘さ、及び磯の様な匂いが混じりあった香りを意味する”と記載されている。

本特許発明について、“従来はジメチルスルフィドが青海苔の香りを有することが知られていたところ、これにβ-イオノンを組み合わせて存在させることによって、高級茶らしい青海苔香がより良く感じられることを見出した。そして、本発明者らは、ジメチルスルフィド及びβ-イオノンの含有比率を特定の範囲となるように調整することによって、その高級茶らしい青海苔香が持続して感じられることを見出した。これらの知見に基づき、本発明者らは本発明を完成するに至った”と記載されている。

本特許発明のジメチルスルフィド及びβ-イオノについて、“ジメチルスルフィドは、有機硫黄化合物であり、海苔の香り成分として知られて”おり、β-イオノンは、テルペノイドの一種であり、“スミレの花のような香りやセダー油様の香りを有することが知られている”と記載されている。

本特許発明における“茶葉抽出物”とは、“茶葉より抽出された成分を意味する”と記載されている。

また、本特許発明の固形組成物において、“ジメチルスルフィド及びβ-イオノンはそれぞれ精製物又は粗精製物を使用してもよいし、或いは、ジメチルスルフィド及びβ-イオノンを含む抽出物を使用してもよ”いが、本特許発明では、植物抽出物を使用することが好ましく、植物の中でも茶葉抽出物を使用することがより好まし“く、”より好ましくは、かぶせ茶、玉露、碾茶などの摘採前に日光を遮光し被覆栽培した茶葉の抽出物である“と記載されている。

本特許発明を用いる用途について、“本発明の固形組成物は、水又は湯を用いて茶飲料とすることができ、茶飲料の飲用時に高級茶らしい青海苔香をもたらすことができ”、また、“食品の原料としても利用することができ”、“例えば、ケーキ等の菓子類に対して、高級茶らしい青海苔香を付与することができる”と記載されている。

本特許は、2020年9月25日に国際出願され、2021年4月8日に国際公開公報が発行され、2022年3月11日に日本国内への移行手続がされた。

国際公開公報に記載された特許請求の範囲は、以下である(WO2021/0657171、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/WO-A-2021-065717/50/ja)。

【請求項1】

ジメチルスルフィド及びβ-イオノンを含有し、

β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~3である、固形組成物。

【請求項2】~【請求項10】省略

請求項1については、β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が減縮され、煎茶の茶葉抽出物含有の要件が追加され、特許査定された。

公報発行日(2024年9月30日)の半年後(2025年3月31日)、一個人名で異議申立てられた(異議2025-700364、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2021-551179/10/ja)。

審理の結論は、以下のようであった。

“特許第7558183号の請求項1ないし5に係る特許を維持する。”

異議申立書に記載された申立理由は、以下の2つであった。

(1)“申立理由1(甲第1号証を主たる証拠とする進歩性)

本件特許の請求項1ないし5に係る発明は、本件特許の優先日前に日本国内又は外国において、頒布された又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった下記の甲第1号証に記載された発明に基いて、本件特許の優先日前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下、「当業者」という。)が容易に発明をすることができたものであ“る。

甲第1号証:川上美智子著、茶の香り研究ノート  -製造にみる多様性の視点から-、初版、2000年11月20日発行、株式会社光生館、53頁、59頁、61-64頁”

(2)“申立理由2(サポート要件)

本件特許の請求項1ないし5に係る特許は、下記の①~③の点で特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない“。

①本特許明細書の実施例に記載された各種試料のジメチルスルフィドの濃度は、コントロールの約100倍で、ジメチルスルフィドの濃度が高い玉露において、浅草海苔様の臭いが強く感じられることは周知であるから、“ジメチルスルフィドの濃度が100倍増加すれば、茶葉抽出物の青海苔香の余韻も増強されると認識することが合理的である。”

したがって、“青海苔香の原因であるジメチルスルフィドの濃度が100倍に増量したことにより、青海苔香の余韻が増強されたという至極当然のことを示しているに過ぎ”ない。

②”香気成分には、臭いを感じることができる最低濃度(閾値)が存在するが“、”閾値未満であっても課題を解決できることは実証されておらず、また、その裏付けとなる技術的説明もない。“ など。

以下、本特許請求項1に係る発明(本件特許発明1)に絞って、審理結果を紹介する。

(1)申立理由1(甲1を主たる証拠とする進歩性)についての審理

審判官は申立理由1について、以下のように判断した。

・甲第1号証(甲1)には、以下の甲1発明が記載されていると認められる。

<甲1発明>「ジメチルスルフィド及びβ-イオノンを含有し、β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比がある一定量であり、煎茶の茶葉抽出物を含有する、液体組成物。」

・  本件特許発明1と甲1発明と対比すると、以下の一致点及び相違点が認められる。

“<一致点>「ジメチルスルフィド及びβ-イオノンを含有し、煎茶の茶葉抽出物を含有する、組成物。」

<相違点1-1>  本件特許発明1は「β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~0.8」であるのに対し、甲1発明は当該重量比が不明である点。“

<相違点1-2>省略

・相違点1-1について検討すると、甲1には、甲1発明の組成物の、β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~0.8であることは記載されていないし、甲1及び他の証拠をみても、甲1発明の組成物の、β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~0.8である蓋然性が高いと判断する理由もない。 したがって、上記相違点1-1は実質的な相違点である。

“甲1及び他の証拠をみても、甲1発明においてβ-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比を0.003~0.8とする動機付けがない。

よって、他の相違点について検討するまでもなく、甲1発明において、相違点1-1に係る本件特許発明1の発明特定事項を満たすものとすることは、当業者が容易に発明をすることができたものではない。

異議申立人は、“甲1~甲3及び周知技術(甲7)に基づいて、煎茶の抽出物である甲1発明において、青海苔香の余韻を高めるために、ジメチルスルフィドとβ-イオノンに着目し、「本件重量比」が本件発明1の範囲(0.003~0.8)となるようにジメチルスルフィドを添加することは当業者が容易に想到し得る程度のことである”と主張するが、以下の理由で異議申立人の主張は採用できない。

a.甲1には、”メチルスルフィド、β-イオノンのほかに、ペンタナールやヘプタナール等の低沸点アルデヒドや高沸点成分としてα-イオノンも例示されているので、甲1の当該記載からジメチルスルフィドとβ-イオノンに着目する動機付けがあるとはいえない。

b.“甲2には、お茶の呈味および香気をさらに強化することを目的として、茶葉粉末と共にジメチルサルファイドを添加することが記載されているものの、ジメチルスルフィドをβ-イオノンと併用することは記載されていない。そして、甲7には、茶フレーバーとしてジメチルスルフィド及びβ-ヨノンが他の多くの化合物と共に例示されているものの、ジメチルスルフィドをβ-イオノンと併用することに着目した記載はない。そうすると、甲2及び甲7の記載から、甲1発明においてβ-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比を0.003~0.8とする動機付けがあるとはいえない。

甲2(甲第2号証):特開平6-296457号 ”インスタント粉末飲料”

甲7(甲第7号証):国際公開第2019/159869号 ” 飲料、容器詰め飲料および飲料の乳風味および茶風味増強方法”

c.“甲1で測定されているのはヘッドスペースガス成分であり”、“仮に、甲1記載のヘッドスペースガス成分の組成比が甲1発明の液体組成物の組成比と同じであるとしても、甲1発明の液体組成物を噴霧乾燥等によって固形組成物にする際には、その組成比も変化すると解されるから、甲1発明から固形組成物を得る際に、β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比を0.003~0.8とする動機付けがあるとはいえない。

加えて、甲3に記載されたお茶の揮発性化合物についての“2つの測定方法ではβ-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~0.8ではなく”、“甲3の記載から、甲1発明においてβ-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比を0.003~0.8とする動機付けがあるとはいえない。

甲第3号証:Marcel Zhu, et al., Determination of Volatile Chemical Constitutes in Tea by Simultaneous Distillation Extraction, Vacuum Hydrodistillation and Thermal Desorption, CHROMATOGRA PHIA, Vol.68, no.7-8. 8 August 2008, pages 603-610

・“よって、本件特許発明1は、甲1発明並びに甲1及び他の証拠に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない。

(2)  申立理由2(サポート要件)について

審判官は、サポート要件について、以下のように判断した。

本件特許の明細書の発明の詳細な説明には、本件特許発明1に対応する記載があり、記載された実施例においては、“市販のかぶせ茶又は煎茶の茶葉抽出液に、市販のかぶせ茶の茶葉留出液を混合し、噴霧乾燥して得られた3種類の粉末組成物(β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比はそれぞれ、8/83=0.096、8/54=0.15、11/30=0.37)を水に溶解したところ、いずれも青海苔香として優れた香りが感じられたことが記載されており”、茶葉留出液やβ-イオノンの標準品を加えなかった場合と比較して、“飲み終わりに感じられる青海苔香の余韻がよいことが示されている”

“そうすると、本件特許の明細書の発明の詳細な説明の記載から、煎茶の茶葉抽出液を含み、ジメチルスルフィド及びβ-イオノンを含有し、β-イオノン含有量のジメチルスルフィド含有量に対する重量比が0.003~3の範囲である固形組成物であれば、本発明の課題を解決できると当業者は認識する”。

異議申立人は、“ジメチルスルフィドの濃度が100倍増加すれば、茶葉抽出物の青海苔香の余韻も増強されると認識することが合理的である、と主張”するが、本特許明細書には、”ジメチルスルフィドに対して所定の重量比でβ-イオノンを組み合わせることで、玉露のような上質な茶飲料の飲み終わりに感じられる華やかな甘い芳香が付与され、芳香のバランスの優れた厚みのある青海苔香が“はじめて感じられるようになることが記載されている

また、特許異議申立人は、ジメチルスルフィドの濃度が100倍増加すれば、茶葉抽出物の青海苔香の余韻も増強されることを示す、具体的な証拠を提示するものでもない。

異議申立人は、また、“ジメチルスルフィド及びβ-イオノンの含有量が少なく、これらの濃度が閾値未満である場合に本発明の課題を解決できない”と主張するが、本特許明細書の記載から、“ジメチルスルフィド及びβ-イオノンがごくわずかな量であっても含有されていればよいことが理解できる”し、“ジメチルスルフィド及びβ-イオノンの含有量が少なく、これらの濃度が閾値未満である場合に本発明の課題を解決できないことを示す具体的な証拠”が提示されているわけでもない。”

したがって、特許異議申立人の主張は、サポート要件の判断に影響するものではない。

・また、“本発明の固形組成物を液体に含有させる場合の溶液中の含有量が記載されており、ジメチルスルフィド及びβ-イオノンの濃度が閾値未満になるほど希釈することは想定されていないし、仮に、閾値未満になるほど希釈した場合に本発明の課題を解決できないとしても、「固形組成物」に係る発明である本件特許発明が、サポート要件を充足することに変わりはない。”

“よって、本件特許発明1ないし5に記載された発明は、発明の詳細な説明に記載されたものであり、特許法第36条第6項第1号に規定する要件を充足する。”