特許侵害を回避する方法として、無効の抗弁以外では、(1)先使用権による抗弁と、(2)特許不実施の抗弁との2つが主になると思われる。先使用権は、他者が特許出願した時点で、その特許出願に係る発明の実施(事業)やその事業の準備をしていた者に認められる権利で、先使用権者は、ある範囲内において、他者の特許の通常実施権を無償で有する。
事業遂行にとって障害となる邪魔な特許が見つかった場合、通常行われるアクションは、異議申立や無効審判の制度を利用して特許を無効化できないかの検討である。
しかし、異議申立や無効審判しても、勝てる率は、統計的には高くない。
たとえば、2018年前半に異議申立がなされた特許案件のうち、取消になったのは11%に過ぎず、訂正有で維持されたものは49%、残りの38%は訂正無で維持された(“特許異議申立制度の運用の現状と効果的な活用” https://www.inpit.go.jp/content/100868550.pdf)。
審査段階にある特許出願なら、情報提供制度を利用し、事業の障害とならないような形に請求範囲を減縮させることを考えた方がよい。
ただし、事業の障害となるような形で特許査定される可能性が高いと予想される場合には、無効資料調査と並行して、特許侵害を回避する策の検討も必要である (“【7】私の考える「邪魔な特許の潰し方」全体像” https://patent.mfworks.info/2018/09/30/post-981/)。
特許侵害回避の方法としては、特許無効の主張以外にいくつかの方法がある。
(“知的財産権に関するQ&A(9) 特許法(8)|被疑侵害者の防御方法” https://iplaw-net.com/knowledge/ip-qa/qa_patent_8.html
“特許権侵害訴訟を提起された被告の防御方法(2)- 侵害論における抗弁” https://www.businesslawyers.jp/practices/966)。
教科書的には、特許侵害の警告を受けた場合や出訴された際には、特許権自体の存在の確認や、特許権の効力制限や特許権の消尽の主張ができないかが検討項目の中に入っている。
“特許権の効力の制限“は、試験・研究のための特許発明の実施には、特許権の行使が制限されるということである。
また、“特許権の消尽”とは、”特許権者またはその特許権について実施権を有する者が、特許製品を適法に製造し、適法に譲渡した場合には、もはやその特許製品を購入した者の特許製品の使用、譲渡等、輸出、輸入には特許権が及ぶことはない“とする理論である”(“特許法概論” https://www.jpo.go.jp/news/kokusai/developing/training/textbook/document/index/Outline_of_Japanese_Patent_Law_j.pdf)
“侵害が疑われる特許権の対象が物の発明である場合であり、その発明の実施品を被告が入手して使用している場合、原告がこれを流通においたとの事情があるときには、被告は、消尽を主張し、特許権侵害の主張を退けることができます”とされている(“リサイクル・インクカートリッジ事件に関する最高裁判決の概要と意義” https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200805/jpaapatent200805_039-047.pdf)。
また、“消尽“と似た考え方に、”黙示の許諾“がある(“権利者による部品の譲渡と完成品の特許の消尽又は黙示の許諾―アップル対サムスン事件知財高裁大合議判決―” https://www.inpit.go.jp/content/100644634.pdf)。
しかし、これらの抗弁で侵害を回避できるケースは少ないと思われる。
特許無効の抗弁以外の対抗策としては、(1)先使用権による抗弁と、(2)特許不実施の抗弁との2つが主になると思われる。
まず、“先使用権”による抗弁を取り上げる。
特許侵害で出訴されても、特許発明の実施権を有する場合には、実施権の範囲内での実施は、特許権非侵害の抗弁が可能である。
その実施権としては、約定実施権(契約による実施権)と法定実施権があり、先使用権は特許法第79条に定められた法定実施権である。
特許法第79条の条文は、
“特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する”である。
特許権の設定登録が完了し、特許権者が権利行使できるようになった時点で特許発明を実施していたとしても、特許が出願された時点で既に当該特許出願に係る発明の実施(事業)やその事業の準備をしていれば、先使用権によって、他者の特許権を無償で実施し、事業を継続できることが認められている。
以下、下記の資料の記載を引用しながら、先使用権について説明する。
“先使用権制度の活用と実践 ~戦略的な知財保護のために~” (https://www.jpo.go.jp/system/patent/gaiyo/senshiyo/document/index/setumeiyou.pdf)
“先使用権の成立要件”(https://www.inpit.go.jp/content/100868551.pdf)
先使用権が認められるための要件は、以下の4つである。
”①(特許出願の発明と関わりなく)独自に発明し、又はその発明を承継したこと
② 事業の実施又は事業の準備をしていること
③他者の特許出願時に②を行っていたこと
④日本国内で②を行っていたこと”
上記②の“事業の実施”の意味は比較的明確と考えられるが、“事業の準備”は、どういう要件をクリアすれば”準備をしている”と認められるか、その判断基準はあまり明確でない。
そのため、上記資料には、“事業の準備”を認めた判例として、“試作品の完成・納入で認めた例”、および“受注生産製品における試作品の製造・販売で認めた例”などが例示されている。
一方、“事業の準備”を否定した判例として、“改良前の試作品では準備を否定した例”、“研究報告書に列記された成分の一つであっただけとして準備を否定した例”、“概略図にすぎないとして準備を否定した例”、および“展示会等に出品したものの、最終的に商品化されなかったこと等をもって、事業の準備を否定された例”が例示されている。
これらの事例を見てみると、後戻りできない段階まで、事業化の準備が進んでいることが必要で、そのことを示す証拠があれば、“事業の準備”と認められるように思われる。
“先使用による通常実施権が認められる範囲”について、“実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内”と説明されている。
“目的の範囲内”の解釈について、たとえば、“他者の特許出願の際に製造していた物とは少し異なる物を作ってもよいか”については、“先使用権の効力は、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけでなくこれに具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式にも及ぶ”と説明されている。
同一性が肯定された例としては、“特許請求の範囲と関係しない箇所の変更は同一性に影響を与えない”、“変更前後の製品が同一の技術思想のものである”、および“特許請求の範囲内でなされた設計変更である”と解釈されて同一性を肯定された例が例示されている。
一方、同一性を否定された例として、“変更点の顕著な効果等”や“先使用品に具現化された技術思想と特許発明とが同一ではない”とされた例が例示されている。
また、“他者の特許出願の際に製造していた量を上回る製造をしてもよいか”(“実施規模の拡大”)については、“実施規模については、「事業の範囲内」において拡大することができる”と説明されている。
訴訟において“先使用“が機能する場面としては、先使用による通常実施権を有するとの抗弁以外に、特許無効の抗弁として使える可能性が考えられる。
もし、特許の出願時に発明の実施(事業)が「公然」と行われていると主張できれば、特許法第29条第1項第2号の公用に該当することとなり、公然実施を理由とした権利無効の抗弁も可能となるという意味である。
ただし、「先使用権」で抗弁するためには、その証拠を揃える必要がある。
過去に開始した事業の開始時期を証明するためには、技術開発、製造、販売など多岐に亘る十分な証拠を集めることが必要になり、それなりの労力が必要である。
さらに「公然実施」の主張まで行おうとするとなると、結局、無効資料調査を行うことと同じことであり、容易ではない。
そのため、侵害が問題となった時点から先使用権の証拠を集めるのではなく、通常の事業遂行の中で、先使用権の主張につながる資料を蓄積しておくことが推奨されている。
なお、世界共通の先使用権制度はなく、日本で認められる先使用権の効力は日本国内に限定される。
また、先使用権の制度は、国によってかなり異なり(事業の準備、実施行為の変更や実施規模の拡大についての取り扱い)、海外において先使用権で抗弁する場合には、対象国の法律を正確に把握しておく必要がある(“諸外国・地域における先使用権制度の比較表” https://www.jpo.go.jp/system/patent/gaiyo/senshiyo/document/index/kaigai_table.pdf)。
(続く)