特許を巡る争い<39>小川香料・水蒸気蒸留法特許

小川香料の特許第6655213号は、“多湿水蒸気”を用いることを特徴とする、天然素材から香気成分を得るための水蒸気蒸留法に関する。新規性欠如、進歩性欠如等の理由で異議申立されたが、いずれの主張も認められず、そのまま権利維持された。

小川香料の特許第6655213号“多湿水蒸気を用いる水蒸気蒸留法”を取り上げる。

特許第6655213号の特許公報に記載された特許請求の範囲は、以下の通りである(https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-6655213/5B4CA983A4042896531D2B94BDBBD772D97CEF710D83360FE64866C511A38559/15/ja)。

【請求項1】

  水蒸気蒸留によって天然素材から有用成分を留出させることにより分離又は精製する方法において、水蒸気として多湿水蒸気を用いることを特徴とする分離又は精製方法。

【請求項2】~【請求項6】 省略

本特許明細書によれば、 本発明でいう“水蒸気蒸留”は、香料の製造において周知・慣用技術であり”、具体的には、“香料の原料である植物体(花、葉、茎、根又は全草)に水蒸気を通気し、水蒸気に伴われて留出してくる香気成分を水蒸気とともに凝縮させる方法である“と説明されている。

水蒸気蒸留に使用される“水蒸気”は、“ボイラーで発生させた加圧高温の乾燥した水蒸気を用いることが一般的となっている”が、“高温で加熱されることによる加熱臭が付着し、天然素材本来の香味を強調する香味増強成分を得ることが難しいという問題点を有していた“。

これに対して、本発明でいう”多湿水蒸気“は、“ボイラーで発生させた加圧高温の乾燥した水蒸気を、一度水に通し、そこから発生させた、圧力が1~1.1気圧、温度が95~105℃の湿気を含んだ水蒸気”と定義されている

本特許発明は、“多湿水蒸気を天然素材に適用することで”、“天然素材から異臭が付着していない香味増強成分を得る方法、並びに当該香味増強成分からなる香味増強剤”に関し、“天然素材から得られる有用成分、特に香味増強成分は、原料である天然素材の本来の香味を有し、且つ、当該香味増強成分からなる香味増強剤は強い力価を有する“と記載さえている。

本特許の公開公報の特許請求の範囲は、以下の通りである(特開2021-14526、 https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2021-014526/5B4CA983A4042896531D2B94BDBBD772D97CEF710D83360FE64866C511A38559/11/ja)。

【請求項1】

  水蒸気蒸留によって天然素材から有用成分を分離又は精製する方法において、水蒸気として多湿水蒸気を用いることを特徴とする分離又は精製方法。

【請求項2】~【請求項6】 省略

請求項1は、“留出させることにより”の文言が追加されて、特許査定を受けている。

なお、本特許は、2019年7月12日に出願、同日に審査請求され、2020年2月26日に特許公報が発行されており、特許公報発行日の方が公開日(2021年2月12日)より早くなっている。

特許公報の発行日の半年後(2020年8月24日)に一個人名で異議申立てがなされた(異議2020-700631)

審理の結論は、以下の通りである(https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2019-129902/5B4CA983A4042896531D2B94BDBBD772D97CEF710D83360FE64866C511A38559/10/ja

特許第6655213号の請求項1ないし6に係る特許を維持する。

異議申立人の申立理由は、以下の4点であった。

(1)新規性欠如 本件発明1、3~6は、“甲1~3に記載された周知技術に係る発明”である。

(2)進歩性欠如 本件発明1~6は、“(i)甲4及び甲7記載の周知技術に基づいて、(ii)甲1及び甲7の周知技術に基づいて、(iii)甲1~5記載の周知技術及び甲6記載の技術に基づいて、それぞれ当業者が容易に発明をすることができたもの”である。

(3)実施可能要件違反 “本件特許1~6は、発明の詳細な説明の記載が不備”である。

(4)明確性要件違反 “本件特許1~6は、特許請求の範囲の記載が不備”である。

上記の甲1~7は、以下である。

“・甲1:農商務省商工局、「香料の研究」、初版、丸善株式会社、大正7年3月30日、p.81-96

・甲2:米元俊一、“別府大学紀要=Memoirs of Beppu University”、2017年2月、Vol.58、p.119-136

・甲3:実用新案登録第3211577号公報

・甲4:特開2013-123387号公報

・甲5:特開2017-6020号公報

・甲6:特開平1-193502号公報

・甲7:特開2018-191606号公報“

以下、本件発明1(請求項1に係る発明)について、審理結果を紹介する。

(1)新規性欠如・(2)進歩性欠如についての審理

審判官は、本件発明1と“甲1~5の周知の水蒸気蒸留”とを対比し、“本件発明1における「水蒸気蒸留」は香料の製造において周知・慣用技術であって、これ自体は、先行技術、すなわち、「甲1~5の周知の水蒸気蒸留」と特段相違するものではないといえる”とした。

しかし、“使用する水蒸気について、本件発明1は「水蒸気として多湿水蒸気を用いる」と特定しているのに対して、「甲1~5の周知の水蒸気蒸留」は、当該多湿水蒸気を用いるものではない点”で相違するとした。

上記相違点について、審判官は、本特許明細書には“多湿水蒸気”の定義が記載されており、“本件発明1の「多湿水蒸気」の定義に照らすと、本件発明1と「甲1~5の周知の水蒸気蒸留」とでは、使用する水蒸気が異なることは明らかであるから、上記相違点は、実質的な相違点であるというほかない”として、“本件発明1は新規性を欠如するものということはできない”と結論した。

進歩性についても、“上記相違点に係る「多湿水蒸気」に関連する技術として、上記「甲6の周知のスチームチャンジャー」及び「甲7の周知のスチームチャンジャーによる蒸し技術」があるが、これらは単に、スチームチャンジャー自体、あるいは、これを用いた蒸し技術自体が周知であることを教示するものであって、水蒸気蒸留と直接関係するものではないし、これらを水蒸気蒸留と関連づけるに足りる証拠も見当たらないから、これらを参酌しても、上記相違点に係る本件発明1の構成が容易想到の事項であるということはできない”などとして、“上記「甲1~5の周知の水蒸気蒸留」を主たる引用発明として、本件発明1が進歩性を欠如するということもできない”と結論した。

(3)実施可能要件違反・(4)明確性要件違反についての審理

審判官は、異議申立人の(3)実施可能要件違反・(4)明確性要件違反の主張は、

(i)本件発明における「多湿水蒸気」の定義が不明確であるとともに、その定義には非実際的な範囲が含まれる点、及び、

(ii)本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明を実施するための空間速度やその数値の臨界的意義について十分に記載されていない点“をもとにしているものと認めた。

 (i)の主張について、“本件発明における「多湿水蒸気」の定義は、本件明細書の【0011】の記載などに照らせば明確であるといえるし、当該段落に記載された「圧力が1~1.1気圧、温度が95~105℃の湿気を含んだ水蒸気」は、湿気を含んだものであって、単純な気液平衡状態のものではないから、特許異議申立人の指摘する非実際的な範囲に関する主張は当たらない”として、異議申立人の主張を斥けた。

また、(ii)の主張についても、“空間速度(略称SV)は、公知のパラメータであるから、これ自体に不明確なところはないし、その計測や制御も普通に行われており、これが本件発明において困難であるというに足りる証拠は見当たらない”し、

実施例として、その実測値が具体的に記載されているのであるから、例えば、本件発明2が特定する数値範囲を実現することができないとまでいうことはできないし、このことは、その数値範囲に臨界的な意義が存するか否かに左右される事項でもない。したがって、上記(ii)に係る記載不備についても認めることはできない”として、異議申立人の主張を斥けた。