日本では、明治18年(1885年)に公布された「専売特許条例」によって、特許制度が導入された。「特許」という用語は、この法令で初めて使用されたもので、特許は新規な技術に認められること、「専売」できる期間は、特許証の日付から15年であった。
特許庁のホームページには、産業財産権制度の歴史の記載の中で、日本の特許制度の歴史として、「我が国では、明治維新後、近代化が急務との観点から、特許制度整備の必要が認識され、明治18年(1885年)4月18日「専売特許条例」が公布されました。」と書かれている。
日本の特許制度に関する文献を見てみると、「専売特許条例」に先立って「専売略規則」が公布されており、それ以降の流れは以下のようである。
1871年(明治4年) 専売略規則
1885年(明治18年)専売特許条例
1888年(明治21年)特許条例
1899年(明治32年)特許法
「専売特許条例」に先だつ、1871年(明治4年)の「専売略規則」は 実効されないまま、翌年執行停止処分になったが、その理由は当時の技術水準があまりに低く、審査に値する出願がなかったこと、審査に習熟した人材がおらず、外国人を高額で採用する余裕がなかったためのようである。
「専売特許条例」は全文28条からなっており、第一条~第四条は以下のようである。
第一条
有益ノ事物ヲ発明シテ之ヲ専売セント欲スル者ハ農商務卿二願出其特許ヲ受クヘシ
農商務卿ハ其専売ヲ特許スヘキ認ムルトキハ専売特許証ヲ下付スヘシ
第二条
専売特許ヲ願出ルニハ其願書ニ発明ノ明細書并必要ノ図面ヲ添フヘシ但時宜ニ依リ其現品又ハ雛形ヲ差出サシムルコトアルヘシ
第三条
専売特許ノ年限ハ専売特許証ノ日附ヨリ起算シ十五年ヲ超ユルコトヲ得ス
第四条
左ノ諸項ニ触ルヽモノハ専売特許ヲ願出ルコトヲ得ス
一 他人ノ既ニ発明シタルモノ但他人ヨリ譲受ケタルモノハ此限ニアラス
二 専売特許願出以前公ニ用ヒラレ又ハ公ニ知ラレタルモノ
三 治安、風俗、健康ヲ害スヘキモノ
四 医薬
専売特許条例は、政府内部で対立があったようだが、初代の専売特許所長であった高橋是清の尽力によって発布されたもので、特許は、自ら発明し、出願以前に公用・公知でないことが要件となっており、その権利期間は15年であった。
「特許」という用語は、「専売特許条例」で初めて使用された用語のようだが、どういう経緯で「特許」という言葉を使用したかについては不明である。
特許の第1号は、明治18年7月1日の「堀田式錆止塗料とその塗法」である。
その明細書には、
「鐵製及ビ鋼製ノ艦体橋梁其他同質製ノ機械器具等ノ錆蝕ヲ豫防スルニ使用スベキ新奇有益ノ塗料即チ命ジテ堀田錆止塗料ト稱スル組成劑及ビ其塗法ヲ發明セリ之ヲ左ニ明解ス
此塗料ニ四種アリ其第一號塗料ハ生漆、鐵粉、鉛丹、油煤、柿澁、酒精、生姜、酢及ビ鐵漿第二號塗料ハ生漆、鐵粉、鉛丹、油煤、柿澁、酢及ビ鐵漿第三號塗料ハ生漆、鐵粉、鉛丹、油煤、柿澁、生姜、酢及ビ鐵漿第四號塗料ハ生漆、鐵粉、鉛丹、油煤、酢及ビ鐵漿ヲ混合攪擾シテ製成スルモノトス即チ其成分ノ割合ヲ掲グル事左ノ如シ」と書かれており、塗料の配合に関するものであった。
4月18日は、「発明の日」であるが、現在の特許法の前身である「専売特許条例」が公布された日にちなんでいる。
ちなみに、「弁護士」に対して、知財(「特許」)の専門家は「弁理士」と呼ぶが、この言葉の由来についても不明のようである。
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(参考文献)
特許制度の歴史 https://www.jpo.go.jp/seido/rekishi/rekisi.htm
産業財産権法の制定・改正 http://nomenclator.la.coocan.jp/ip/
http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/723/1/KJ00004859822.pdf
専売特許条例 http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatsumei/contents/11.html
日本特許第一号 http://www.nippon-kako.co.jp/patent.html
弁理士 https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200201/jpaapatent200201_074-075.pdf