特許を巡る争い<45> 森永製菓・カカオ原料製造特許

森永製菓株式会社の特許第6705928号は、アイスクリームなどの低温で喫食される水中油型食品に好適な“カカオ原料”に関する。新規性欠如、進歩性欠如、記載要件違反の理由で異議申立てされたが、いずれの申立理由も採用されず、そのまま権利維持された。

森永製菓株式会社の特許第6705928号“カカオ原料及び水中油型食品”を取り上げる。

特許第6705928号の特許公報に記載された特許請求の範囲は、以下の通りである

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-6705928/B1FF2813C4F2F40C611FA20CB84AC91FB7CA459514D35893F7E28DA653FEE968/15/ja

【請求項1】

油脂を10質量%以上含む加熱済みカカオ原料であって、

酢酸とピラジン類の質量比が、香気成分比として2:1~1:2であり、

テオブロミン1質量部に対して、酢酸の含有量が0.11~0.44質量部であり、

2質量%で40℃の水に懸濁した場合の懸濁液の酸度が1.0~3.5質量%であることを特徴とする、水中油型食品用の加熱済みカカオ原料。

【請求項2】~【請求項8】

本特許明細書には、“加熱済みカカオ原料”について、“本発明において、カカオ原料とは、カカオ豆から得られる食品原料であって、実質的にカカオ由来の成分からなる食品原料をい”い、

“本発明のカカオ原料は、焙煎条件を以下の通りに調整することで、製造することができる”として、“焙煎工程は、カカオ豆の表面温度が好ましくは130~150℃、さらに好ましくは135~145℃となるような温度で行う”と記載されている。

また、“酢酸”について、“本発明のカカオ原料は、酢酸を含む。酢酸は、カカオ豆の発酵によって生成され、カカオ豆の風味形成に重要な役割をしている”と記載されており、

また、“カカオ原料は、通常、発酵工程を経ていることからその成分として酢酸等の有機酸を含有している。カカオ原料における酢酸等の有機酸は、苦味や渋味の低減の観点から重要な成分である。”とも記載されている。

ピラジン類“について、”ピラジン類は、ピラジン構造を分子内に含む化合物を指す。ピラジン類は、カカオ風味の主要な要素であるロースト風味を示す“と記載されている。

酢酸に対するピラジン類の質量比”について、“香気成分比として前記範囲にあるカカオ原料は、水中油型食品に配合し加工した際に、酢酸に起因する好ましくない風味が低減され、ピラジン類のロースト風味が際立つ。

そして、水中油型食品を食したときのトップのカカオ風味、カカオ風味の後残り、及びカカオのコクに優れ、全体として濃厚なカカオ感を感じることができる”と記載されている。

また、“テオブロミン”について、“テオブロミンは、カカオ豆に含まれている苦味を有する成分であり、カカオ豆の発酵、加熱、粉砕などの処理を経てもほとんど消失しない成分であることから、カカオ原料中の風味成分の含有量を特定するための基準値とすることができる”と記載されている。

本特許発明の奏する効果に関して、“本発明のカカオ原料は、水中油型食品に好適である。

これは、水中油型食品にあっては、加工における加熱等に伴い水相中に酸が溶解し、酸臭や酸味を感じやすい一方、カカオ風味を形成する脂溶性の香気成分は溶解しにくく、よってカカオ風味を感じにくいという背景があるためである。

また、水中油型食品としては、10℃以下で喫食される食品、例えばチルド食品や冷凍食品に好適である。これは、低温で喫食される食品にあってはカカオ風味を感じにくいためである“として、 また、アイスクリームなどの乳製品が例示されている。

公開公報(特開2020-156434)の特許請求の範囲は以下の通りであるhttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2020-156434/B1FF2813C4F2F40C611FA20CB84AC91FB7CA459514D35893F7E28DA653FEE968/11/ja)。

【請求項1】

油脂を10質量%以上含む加熱済みカカオ原料であって、

酢酸とピラジン類の質量比が、香気成分比として2:1~1:2であることを特徴とする、水中油型食品用の加熱済みカカオ原料。

【請求項2】~【請求項10】 省略

テオブロミンの含有量及び酸度の限定を行うことによって、特許査定を受けている。

なお、本特許は、出願直後に早期審査請求されており、その結果、公開日(令和2年10月1日)より、特許公報発行日(令和2年6月3日)の方が早かった。

特許公報の発行日(令和2年6月3日)の半年後(令和2年12月1日)、一個人名で異議申立てされた(異議2020-700933 https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2019-061967/B1FF2813C4F2F40C611FA20CB84AC91FB7CA459514D35893F7E28DA653FEE968/10/ja

審理の結論は、以下であった。

特許第6705928号の請求項1ないし8に係る特許を維持する。

異議申立人の異議申立理由は、以下の4つであった。

(1)甲第1号証を主引例とする新規性及び進歩性の欠如

“本件特許の特許請求の範囲の請求項1~5に係る発明は、甲第1号証に記載された発明であるから、特許法第29条第1項第3号に該当し、

又は、本件特許の特許請求の範囲の請求項1~8に係る発明は、甲第1号証に記載された発明及び甲第1、3~9、13~15号証に記載された事項に基いて当業者が容易に発明をすることができたものである”。

甲第1号証:特開昭58-851号公報

(2)甲第2号証を主引例とする新規性及び進歩性の欠如

“本件特許の特許請求の範囲の請求項1~5に係る発明は、甲第2号証に記載された発明であるから、特許法第29条第1項第3号に該当し、

又は、本件特許の特許請求の範囲の請求項1~8に係る発明は、甲第2号証に記載された発明及び甲第2~9、13~15号証に記載された事項に基いて当業者が容易に発明をすることができたものである”。

甲第2号証:S.T. Beckett編、Industrial Chocolate Manufacture and Use Fourth Edition、Wiley-Blackwell、 2009年、第121~141頁、第176~179頁

甲第3号証~甲第15証については省略した。

(3)実施可能要件違反

“本件特許の発明の詳細な説明は、当業者が本件特許の請求項1~8に係る発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるとはいえない”。

(4)サポート要件違反

“本件特許の特許請求の範囲の請求項1~8に係る発明は、発明の詳細な説明に記載したものでない”。

以下、本特許請求項1に係る発明(本件発明1)に絞って、紹介する。

(1)甲第1号証を主引例とする新規性及び進歩性の欠如

審判官は、本件発明1と甲1-1発明とを対比し、以下の一致点及び相違点を認めた。

一致点:”「加熱済みカカオ原料」である点”

相違点1-2:”本件発明1は「酢酸とピラジン類の質量比が、香気成分比として2:1~1:2」であるのに対し、甲1-1発明は酢酸とピラジン類の含有の有無及びその質量比が明らかでない点”

相違点1-3:”本件発明1は「テオブロミン1質量部に対して、酢酸の含有量が0.11~0.44質量部」であるのに対し、甲1-1発明はテオブロミンと酢酸の含有の有無及びテオブロミンに対する酢酸の含有量が明らかでない点”

相違点1-1、相違点1-4、及び相違点1-5は、省略

審判官は、まず相違点1-2及び相違点1-3を併せて検討し、結果は以下のようであった。

甲1にはカカオマスの酢酸とピラジン類の質量比及びテオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が記載されていないから、甲1-1発明のカカオマスの酢酸とピラジン類の質量比が香気成分比として2:1~1:2であり、テオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が0.11~0.44質量部であることは明らかとはいえない。

また、甲1には酢酸とピラジン類の質量比及びテオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量の範囲をそれぞれ上記のものとすることは記載も示唆もされていない。

相違点1-2及び相違点1-3に係る技術的事項が、製造方法の観点から実質的に甲1に記載ないし示唆されているといえるかについても検討し、以下のように判断した。

i.本件明細書の記載からみて、“本件発明1の「酢酸とピラジン類の質量比が香気成分比として2:1~1:2」であり、「テオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が0.11~0.44質量部」である加熱済みカカオ原料は”、以下の焙煎方法、すなわち、

“「カカオ豆に一定の水分を与え、表面温度を50~70℃程度とし、中心温度をこれより10~20℃低くした状態から焙煎することで、カカオ豆の表面温度を130~150℃程度となるように十分に加熱しつつ、カカオ豆の中心温度は表面の温度に対して10~20℃低い温度となるようにあまり加熱せずに維持する」ことによって得られるものであると理解できる。”

ii.甲1-1発明は、甲第1号証の記載から、本件発明の明細書に記載された上記焙煎方法により製造したものであるとはいえない。

“甲1-1発明のカカオマスが、本件発明の製造条件と同じ製造条件で得られたものであるとはいえない以上、

甲1-1発明のカカオマスについて、「酢酸とピラジン類の質量比が香気成分比として2:1~1:2」であり、「テオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が0.11~0.44質量部」であるとはいえない。”

また、甲1にはカカオマスの製造条件について、本件発明の明細書に記載された上記焙煎方法は、記載も示唆もされていない。

iii.甲3~9、甲15のいずれにも、カカオマスについて、酢酸とピラジン類の香気成分比及びテオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量比を特定範囲に調整すること、本件発明の明細書に記載された上記焙煎方法で製造することは記載も示唆もされていない。

上記の検討結果から、審判官は、“相違点1-1、相違点1-4、相違点1-5について検討するまでもなく、相違点1-2及び相違点1-3は、実質的な相違点であるから、本件発明1は甲1-1発明ではなく、甲1に記載された発明とはいえない。

また、相違点1-1、相違点1-4、相違点1-5について検討するまでもなく、相違点1-2及び相違点1-3は、甲1、甲3~9、甲15の記載をみても当業者が容易に想到し得るものということはできないから、本件発明1は甲1-1発明及び甲1、3~9、甲15に記載された事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない“と結論した。

(2)甲第2号証を主引例とする新規性及び進歩性の欠如

審判官は、本件発明1と甲2-1発明とを対比し、以下の一致点及び相違点を認めた。

一致点:”「加熱済みカカオ原料」である点”

相違点2-2:”本件発明1は「酢酸とピラジン類の質量比が、香気成分比として2:1~1:2」であるのに対し、甲2-1発明は酢酸とピラジン類の含有の有無及びその質量比が明らかでない点”(上記相違点1-2と同じ

相違点2-3:”本件発明1は「テオブロミン1質量部に対して、酢酸の含有量が0.11~0.44質量部」であるのに対し、甲2-1発明はテオブロミンと酢酸の含有の有無及びテオブロミンに対する酢酸の含有量が明らかでない点”(上記相違点1-3と同じ

相違点2-1、相違点2-4、相違点2-5:省略

審判官は、まず相違点2-2及び相違点2-3を併せて検討し、結果は以下のようであった。

イ.甲2には、“カカオマスの酢酸とピラジン類の質量比及びテオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が記載されていないから、甲2-1発明のカカオマスの酢酸とピラジン類の質量比が香気成分比として2:1~1:2であり、テオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が0.11~0.44質量部であることは明らかとはいえない。”

また、甲2には酢酸とピラジン類の質量比及びテオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量の範囲をそれぞれ上記のものとすることは記載も示唆もされていない。”

ロ.相違点2-2及び相違点2-3に係る技術的事項が、製造方法の観点から実質的に甲2に記載ないし示唆されているといえるかについても検討し、以下のように判断した。

i.甲2-1発明は、甲第2号証の記載から、本件発明の明細書に記載された上記焙煎方法により製造したものであるとはいえない。

“甲2-1発明の焙煎したカカオ豆が、本件発明の製造条件と同じ製造条件で得られたものであることが明らかとはいえない以上、

甲2-1発明の焙煎したカカオ豆について、「酢酸とピラジン類の質量比が香気成分比として2:1~1:2」であり、「テオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量が0.11~0.44質量部」であることが明らかとはいえない。”

また、甲2には焙煎したカカオ豆の製造条件について、本件発明の明細書に記載された上記焙煎方法は、記載も示唆もされていない。

ii.甲3~9、甲15のいずれにも、カカオマスについて、酢酸とピラジン類の香気成分比及びテオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量比を特定範囲に調整すること、並びに本件発明の明細書に記載された上記焙煎方法で製造することは記載も示唆もされていない。

上記の検討結果から、審判官は、“相違点2-1、相違点2-4、相違点2-5について検討するまでもなく、相違点2-2及び相違点2-3は、実質的な相違点であるから、本件発明1は甲2-1発明ではなく、甲2に記載された発明とはいえない。

また、相違点2-1、相違点2-4、相違点2-5について検討するまでもなく、相違点2-2及び相違点2-3は、甲2、甲3~9、甲15の記載をみても当業者が容易に想到し得るものということはできないから、本件発明1は甲2-1発明及び甲3~9、甲15に記載された事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない。“と結論した。

(3)実施可能要件違反及び(4)サポート要件違反

異議申立人の異議申立理由は、以下のようなものであった。

イ.本件発明1は香気成分について、“酢酸とピラジン類の質量比、テオブロミンに対する酢酸の含有量のみが規定されている”が、“本件明細書にはピラジン類だけでなく、酢酸に対するイソ吉草酸の質量比、酢酸に対するフェネチルアルコールの質量比、遊離アミノ酸の含有量も本件発明2~4に規定された範囲内の実施例しか開示されてない”。

“酢酸とピラジン類の質量比、テオブロミンに対する酢酸の含有量のみが本件発明1の範囲内でありさえすれば、本件発明の課題を解決できるとはいえないから、本件発明1は本件明細書に記載したものでない”。

ロ.油脂含有量、水中油型食品、テオブロミン1質量部に対する酢酸の含有量、酸度、及び酢酸とピラジン類の質量比について、本件明細書で開示または確認している事例は、限定的な事例のみである。

ハ.加熱済みカカオ原料について、“本件明細書に具体的に示されているのは「発酵、及び乾燥を経たカカオ豆(脂肪:55質量%)」を用いたことのみであり、また、本件明細書にはカカオ豆に関する諸条件(産地、発酵程度等)は何ら記載されておらず、焙煎条件が記載されるのみである。”

また、“本件明細書には170℃の熱風で約30分焙煎したことしか記載されておらず、どのようにして昇温条件等を調節したのか、どのようにカカオ豆の表面温度等を実現したのか不明であって、本件発明の加熱済みカカオ原料を製造するためには当業者といえども過度の試行錯誤を要する。”

しかし、審判官は、“本件明細書の発明の詳細な説明は、本件発明1~8を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されているといえる”、

また、“本件発明1~8は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものである”として、異議申立人の主張を採用しなかった。