特許第7459494号は、S-アリルシステインスルフォキシド(ニンニク臭前駆体)を有効成分とする魚介風味増強剤に関する。サポート要件違反及び新規性・進歩性の欠如の理由で異議申立がなされたが、前駆体成分の濃度と純度を限定する訂正によって、特許維持となった。
味の素株式会社の特許第7459494号“魚介風味増強剤”を取り上げる。
特許第7459494号の特許請求の範囲は、以下である(https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-7459494/15/ja)。
【請求項1】S-アリルシステインスルフォキシドを含む、魚介風味増強剤であって、 喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.1~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加されることを特徴とする、魚介風味増強剤。
【請求項2】~【請求項10】 省略
本特許明細書には、“S-アリルシステインスルフォキシド(S-allyl-L-cysteine sulfoxide”は、一般名は「アリイン」であり、“ニンニクの香気の前駆体物質として、一般的に認知されている”と記載されている。
また、本特許においる“「魚介風味」とは、魚介類を原料の一部(または全部)として加工、調理した飲食品を喫食した際に感じられる、該魚介類の成分に由来する独特の風味を意味する”と記載されている。
そして、S-アリルシステインスルフォキシドが、”幅広い魚介の風味を極めて効果的に増強することを見出し、かかる知見に基づいてさらに研究を進めることによって本発明を完成するに至った“と記載されており、本特許発明を用いることによって、”魚介風味を有する飲食品の該風味を増強することができる。また、本発明の魚介風味の増強効果は、単一の魚介種のみに限定されるものではなく、広範な魚介種の風味を向上させることができる“と記載されている。。
公開公報に記載されている特許請求の範囲は、以下である(特開2020-115849、
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2020-115849/11/ja)。
【請求項1】S-アリルシステインスルフォキシドを含む、魚介風味増強剤。
【請求項2】~【請求項12】省略
請求項1については、飲食品に含有させるS-アリルシステインスルフォキシドの添加量を数値限定することによって、特許査定を受けている。
特許公報発行日(2024年4月2日) の約半年後(2024年9月26日)、一個人名で異議申立された(異議2024-700932、 https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2019-223154/10/ja)。
審理の結論は、以下のようであった。
“特許第7459494号の特許請求の範囲を、訂正請求書に添付された訂正特許請求の範囲のとおり、訂正後の請求項1、〔2-3〕、4、〔5-6〕、7、〔8-9〕、10について訂正することを認める。
特許第7459494号の請求項2、3、5、6、8及び9に係る特許を維持する。
特許第7459494号の請求項1、4、7及び10に係る特許についての特許異議の申立てを却下する。“
異議申立人が特許異議申立書に記載した特許異議申立理由は、以下の5項目であった。
“1 申立理由1(サポート要件)
本件特許の請求項1~10に係る特許は、下記の点で、特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものである。“
具体的には、以下の2点であった。
・飲食品中のアリインの濃度について
“本件特許発明1~10では、S-アリルシステインスルフォキシド(以下、「アリイン」とも称する。)の濃度に関して、「喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.1~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加される」こと、すなわち飲食品中のアリインの濃度が特定されるのみである。“
本特許明細書の記載からは、“飲食品中の魚介成分とアリインの割合はおろか、飲食品中の魚介成分の濃度すら特定されていない、あらゆる魚介風味を有する飲食品に対して、飲食品中のアリインの濃度が0.1~50ppmの濃度でありさえずれば、本件発明の課題を解決できるとはいえない。”
“例えば、本件明細書【0039】~【0041】の実施例4では、アリイン添加濃度0.1ppmの試験品では、魚介風味の強さが「一」(強くならない)であったことが記載されている(表7参照)。また、例えば、本件明細書【0042】~【0044】の実施例5では、アリイン添加濃度0.1ppm及び0.25ppmの試験品では、魚介風味の強さが「一」(強くならない)であったことが記載されている(表9参照)。”
・有効成分であるアリインの純度について
“本件発明1、3~4、6~7及び9~10は、アリインの純度を特定していない(ニンニクも含み得る)。本件発明2、5及び8は、アリインの純度を特定しているものの「20重量%以上」との特定に留まる。”
そして、実施例において、“純度>95%のアリインですら、飲食品全体に占めるアリインの濃度が0.1~50ppmであっても課題解決できない場合があるのであるから、純度が低いアリインを使用した場合に課題解決できるとは理解できない。”
2 申立理由2(甲第1号証に基づく新規性・進歩性)
本件特許発明1~10は、甲第1号証に記載された発明であり、甲第1号証に記載された発明に基づいて、その優先日前に当業者が容易に発明をすることができたものである、
甲第1号証:グルタチオンの風味特性に関する食品化学的研究、上田要一、東京大学学位論文 博士(農学)、1998年1月12日学位授与、学位記番号第13648号、pp.52-75
3 申立理由3(甲第2号証に基づく新規性・進歩性)
本件特許発明1~10は、甲第2号証に記載された発明であり、甲第2号証に記載された発明に基づいて、その優先日前に当業者が容易に発明をすることができたものである、
甲第2号証:野菜の調味料としての利用、石田賢吾、JAS情報、2015年10月、50巻、10号、pp.1-6、<参考URL:http://www.jasnet.or.jp/4-shuppanbutu/pickup/15.10.pdf>
4 申立理由4(甲第5号証に基づく新規性・進歩性)
本件特許発明1、3~4、6~7、9~10は、甲第5号証に記載された発明であり、甲第5号証に記載された発明に基づいて、その優先日前に当業者が容易に発明をすることができたものである、
甲第5号証:クックパッド株式会社ホームページ、2018年9月22日、”簡単!クラムチャウダー缶を美味しくしよう”<URL: https://cookpad.com/jp/recipes/18915124-%E7%B0%A1%E5%8D%98%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%AO%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%BC%E7%BC%B6%E3%82%92%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86 >
5 申立理由5(甲第6号証に基づく新規性・進歩性)
本件特許発明10は、甲第6号証に記載された発明であり、甲第6号証に記載された発明に基づいて、その優先日前に当業者が容易に発明をすることができたものである。
甲第6号証:みんなのきょうの料理ホームページ、2005年9月21日、<URL:
以下、本特許請求項1に係る発明(本件発明1)に絞って、審理結果を紹介する。
異議申立日の約4か月後(2025年1月30日付け)で取消理由が通知された。
取消理由は、サポート要件違反並びに新規性及び進歩性欠如であった。
具体的には、以下のような理由であった。
1 取消理由1(サポート要件違反)について
・“本件特許明細書の実施例4(【0039】~【0041】)においては、アリイン添加濃度0.1ppmの試験品では、魚介風味の強さが「-」(強くならない)ことが記載されており、また、本件特許明細書の実施例5(【0042】~【0044】)においても、アリイン添加濃度0.1ppm及び0.25ppmの試験品では、魚介風味の強さが「-」(強くならない)ことが記載されている。
・“そうすると、本件特許発明の範囲内における魚介風味増強剤が、本件発明の課題を解決できないものを含むものであるから、本件特許発明1は、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものではなく、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものでもない。“
2 取消理由2(甲5を主たる証拠とする新規性・進歩性の欠如)
・甲第5号証(甲5)には、以下の発明(甲5発明)が記載されていると認められる。
“<甲5発明>「キャンベルクラムチャウダー1缶及び牛乳1.5缶に対して、にんにく(チュ
ーブ)5mmが含有されるように添加される、風味をアップするにんにく。」“
・ここで「キャンベルクラムチャウダー1缶」は、“原材料にクラムブロス、クラム、クラムエキス(カニを含む)を含み、牛乳を加えてクラムチャウダーを作るための濃縮缶であるため”、“キャンベルクラムチャウダー1缶及び牛乳1.5缶」は本件特許発明1の「喫食時の魚介風味を有する飲食品」に相当する。
“「にんにく(チューブ)」は、風味をアップするために添加するものであり、また、にんにくがS-アリルシステインスルフォキシドを含むことは明らかであるから、本件特許発明1の「S-アリルシステインスルフォキシドを含む、魚介風味増強剤」のうち、「魚介」を除いた範囲に相当する。”
・本件特許発明1と甲5発明を対比すると、以下の一致点及び相違点が認められる。
“<一致点>「S-アリルシステインスルフォキシドを含む、風味増強剤であって、喫食時の魚介風味を有する飲食品に対してS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加されることを特徴とする、風味増強剤。」
<相違点1-5>本件特許発明1では、「喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.1~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加されること」が特定されているのに対して、甲5発明ではそのようには特定されていない点。
<相違点2-5>本件特許発明1では、「魚介風味増強剤」であることが特定されているのに対して、甲5発明ではそのようには特定されていない点。“
・相違点1-5については、にんにく(チューブ)5mm分のアリインの含有量は約0.00225gと概算され、キャンベルクラムチャウダー1缶の内容量305g及び牛乳1.5缶の質量は約472.5gであることから、甲5発明のクラムチャウダーに含まれるアリインの濃度は、2.89ppmと計算され、“相違点1-5に係る本件特許発明1の発明特定事項を満たすものである。よって、相違点1-5は実質的な相違点ではない。”
・相違点2-5ついては、“甲5には、にんにくを添加することで風味がアップする対象について明記はされていないものの、クラムなどの魚介成分の風味をアップさせる蓋然性が高い。よって、相違点2-5は実質的な相違点ではない。”
以上の理由から、審判官は、“本件特許発明1は甲5に記載された発明であるか、そうでないとしても、本件特許発明1は甲5に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである“と判断した。
取消理由通知から約2か月後(2025年4月4日)、特許権者は、意見書及び訂正請求書を提出し、訂正請求は認められた。
訂正によって、訂正前の特許請求の範囲の請求項1は削除され、訂正前の特許請求の範囲の請求項1を引用する請求項2を、独立形式に改める形に訂正された。
訂正後の特許請求の範囲は、以下であった。
“【請求項1】(削除)
【請求項2】S-アリルシステインスルフォキシドを含む、魚介風味増強剤であって、 喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.5~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加され、S-アリルシステインスルフォキシドの純度が20重量%以上であることを特徴とする、魚介風味増強剤。“
【請求項3】~【請求項10】省略
訂正後の請求項2を訂正前の請求項1と比較すると、訂正前請求項1におけるS-アリルシステインスルフォキシドの含有量の数値範囲が減縮され、並びにS-アリルシステインスルフォキシドの純度が数値限定された。
請求項1が削除されたため、以下、訂正前請求項1を引用する形で独立項となった訂正後請求項2に係る発明(本件特許発明2)についての審理結果を紹介する。
本件特許発明2について、取消理由通知で通知された2つの取消理由について、審判官は以下のように判断した。
1 取消理由1(サポート要件違反)について
・本特許明細書の段落“【0030】~【0063】には実施例が記載され、実施例1~5では、喫食時に魚介風味を有する種々の飲食品に対して0.5~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドを添加すると、S-アリルシステインスルフォキシドを添加していない対照飲食品と比較して、魚介風味が増強されることが確認されており、また、実施例9では、純度>95%のS-アリルシステインスルフォキシドを20ppm添加した飲食品と、S-アリルシステインスルフォキシド含有率1.09%の市販ニンニクを20ppmとなるように添加した飲食品とは、効果の程度に差はあるものの、共に対照飲食品と比較すると魚介風味が増強されることが確認されている。
そうすると、これらの記載に接した当業者であれば、「喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.5~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加された、魚介風味増強剤」、「喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.5~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加される、飲食品の魚介風味を増強する方法」、「喫食時の魚介風味を有する飲食品に対して0.5~50ppmの濃度でS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加される、魚介風味が増強された飲食品の製造方法」とすれば、本件発明の課題が解決できると認識できる。 “
・特許異議申立人の主張は、本件訂正によって、“発明の詳細な説明の【0039】~【0041】の実施例4及び同【0042】~【0044】の実施例5において、魚介風味が強くならないことが示されたアリイン添加濃度0.1ppm及び0.25ppmの試験品は本件特許発明に含まれないものとなったため、本件特許発明の数値範囲を満たす剤や方法、製造方法であれば、本件発明の課題を解決できると認識できるものであるといえる。また、上記主張は、飲食品中のS-アリルシステインスルフォキシドが0.5~50ppmの濃度であっても課題が解決できないことを示す具体的な証拠を伴うものでもないから、特許異議申立人の上記主張は採用できない。”
・以上の理由から、審判官は、本件特許発明2は“発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであり、特許請求の範囲の記載はサポート要件に適合する”と結論した。
2 取消理由2(甲5を主たる証拠とする新規性・進歩性欠如)
・本件特許発明2と甲5発明を対比すると、両者の一致点及び相違点は以下であると認められる。
“<一致点>「S-アリルシステインスルフォキシドを含む、風味増強剤であって、喫食
時の魚介風味を有する飲食品に対してS-アリルシステインスルフォキシドが含有されるように添加されることを特徴とする、風味増強剤。」
<相違点1-5> 省略
<相違点2-5> 省略
<相違点3-5>本件特許発明2では、「S-アリルシステインスルフォキシドの純度が20重量%以上であること」が特定されているのに対して、甲5発明ではそのようには特定されていない点。“
・相違点3-5について、“甲5発明には、S-アリルシステインスルフォキシドの純度は記載さておらず、また、甲5発明におけるS-アリルシステインスルフォキシドは「にんにく(チューブ)」によるものであるが、通常の「にんにく(チューブ)」におけるS-アリルシステインスルフォキシドの純度が20重量%以上とはならないことは当業者に明らかである。そうすると、相違点3-5は実質的な相違点である。”
・“甲5には、甲5発明においてS-アリルシステインスルフォキシドの純度を20重量%以上とする動機付けとなる記載はないし、他の証拠にもない。
・本件特許発明2の奏する魚介風味増強効果は、“単一の魚介種のみに限定されるものではなく、広範な魚介種の風味を向上させることができる。」という効果(発明の詳細な説明【0009】)は、甲5発明並びに甲5及び他の証拠に記載された事項からみて、当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである。
以上の理由から、審判官は、 “他の相違点について検討するまでもなく、本件特許発明2は甲5発明ではあるとはいえないし、また、甲5発明並びに甲5及び他の証拠に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるともいえない”と結論した。