特許の無効事由には、新規性違反や進歩性違反以外にも、明細書の記載要件違反(実施可能要件違反)や特許請求の範囲の記載要件違反(サポート要件違反)などがある。
これらの記載要件違反の主張には、必ずしも無効資料調査が必要となる訳ではなく、明細書を丹念に読みこむことや記載された技術内容をきちんと解析することが必要である。
特許を無効するために無効資料調査を行うのは必須であるが、調査の目的は、通常、新規性や進歩性に関する先行技術文献を見つけることにある。
一方で、特許の無効審判請求の対象となる無効理由としては、以下などがある(https://www.jpo.go.jp/system/trial_appeal/document/sinpan-binran_18/51-04.pdf)。
新規性違反;新規性を欠如する発明に対して特許が与えられたこと
進歩性違反;進歩性を欠如する発明に対して特許が与えられたこと
明細書の記載要件違反;明細書の記載要件を満たさないものに対して特許が与えられたこと(特許法36条4項1号)
特許請求の範囲の記載要件違反;特許請求の範囲の記載要件を満たさないものに対して特許が与えられたこと(特許法36条6項1号)
また、特許異議の申立ての理由としても、新規性違反および進歩性違反の他に、明細書の記載要件違反や特許請求の範囲の記載要件違反が認められている(https://www.jpo.go.jp/system/trial_appeal/document/sinpan-binran_18/67.pdf)。
記載要件違反を主張する場合にポイントとなるのは、明細書の記載を丹念に読み込むことと、記載された技術内容をきちんと解析することである。
つまり、記載要件違反は、明細書の不備を見つけることなので、無効資料調査が必ずしも必要とは限らない。
調査が必要だとしても、出願時の技術用語の意味するところや、出願時の技術常識に関する調査のような通常の無効資料調査と異なる可能性がある。
明細書の記載要件違反や特許請求の範囲の記載要件違反は、実施可能要件違反およびサポート要件違反と呼ばれるものである。
今回は実施可能要件違反を取り上げ、次回はサポート要件違反について説明する。
“実施可能要件“の判断についての基本的な考え方は、
“(1) 発明の詳細な説明は、請求項に係る発明について、当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されていなければならない。
(2) 当業者が、明細書及び図面に記載された発明の実施についての説明と出願時の技術常識とに基づいて、請求項に係る発明を実施しようとした場合に、どのように実施するかを理解できないときには、当業者が実施することができる程度に発明の詳細な説明が記載されていないことになる。“である(https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/tukujitu_kijun/document/index/02_0101bm.pdf)。
審査基準には、実施可能要件違反の類型の説明がある
(https://www.jitsumu2019-jpo.go.jp/pdf/resume/resume_002.pdf https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/tukujitu_kijun/document/index/02_0101bm.pdf)。
以下、長くなるが、関連部分を引用する。
“3.2.1 発明の実施の形態の記載不備に起因する実施可能要件違反
(1) 技術的手段の記載が抽象的又は機能的である場合
(2) 技術的手段相互の関係が不明確である場合
(3) 製造条件等の数値が記載されていない場合
“発明の実施の形態の記載において、製造条件等の数値が記載されておらず、しかもそれが出願時の技術常識に基づいても当業者に理解できないため、当業者が請求項に係る発明の実施をすることができない場合”と説明されている。
もう一つとして、“3.2.2 請求項に係る発明に含まれる実施の形態以外の部分が実施可能でないことに起因する実施可能要件違反
請求項に係る発明に含まれる実施の形態以外の部分が実施可能でないことに起因するもの
請求項が達成すべき結果による物の特定を含んでおり、発明の詳細な説明に特定の実施の形態のみが実施可能に記載されている場合など“が挙げられている。
具体的には、
“(1) 発明の詳細な説明に、請求項に記載された上位概念に含まれる一部の下位概念についての実施の形態のみが実施可能に記載されている場合
以下の(i)及び(ii)の両方に該当する場合は、発明の詳細な説明の記載は実施可能要件を満たさない。
(i) 請求項に上位概念の発明が記載されており、発明の詳細な説明にその上位概念に含まれる「一部の下位概念」についての実施の形態のみが実施可能に記載されている。
(ii) その上位概念に含まれる他の下位概念については、その「一部の下位概念」についての実施の形態のみでは、当業者が出願時の技術常識(実験や分析の方法等も含まれる点に留意。)を考慮しても実施できる程度に明確かつ十分に説明されているとはいえない具体的理由がある。
(2) 発明の詳細な説明に、特定の実施の形態のみが実施可能に記載されている場合
以下の(i)及び(ii)の両方に該当する場合は、発明の詳細な説明の記載は実施可能要件を満たさない。
(i) 発明の詳細な説明に特定の実施の形態のみが実施可能に記載されている。
(ii) その特定の実施の形態が請求項に係る発明に含まれる特異点である等の理由によって、当業者が明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識(実験や分析の方法等も含まれる点に留意。)を考慮しても、その請求項に係る発明に含まれる他の部分についてはその実施をすることができないとする十分な理由がある。“
「特許・実用新案審査基準」 事例集(https://www.jitsumu2019-jpo.go.jp/pdf/resume/resume_002.pdf https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/handbook_shinsa/document/index/app_a.pdf)には、実施可能要件違反で拒絶理由が出された事例が記載されている。
発明の名称「ハイブリッドカー」の事例の特許請求の範囲は、以下の通りである。
【請求項 1】
X 試験法によりエネルギー効率を測定した場合に、電気で走行中のエネルギー効
率が a~b%であるハイブリッドカー。
その[拒絶理由の概要]として、以下のように説明されている。
“請求項 1 には、a~b%という高いエネルギー効率のみによって規定されたハイブリッドカーが記載されているが、発明の詳細な説明には、上記エネルギー効率を実現したハイブリッドカーの具体例として、ベルト式無段変速機に対して Y 制御を行う制御手段を有するハイブリッドカーが記載されているのみである。
上記のような発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識を考慮すると、請求項 1 に係る発明に含まれる、無段変速機に対して Y 制御を行う制御手段を採用した場合以外について、どのように実施するかを当業者が理解できない。
したがって、発明の詳細な説明は、請求項 1 に係る発明を当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されていない。“
もう一つの事例は、「鉛筆芯」に関するものである。
特許請求の範囲の以下のようである(技術的内容を理解する必要はそれほどありません)。
【請求項 1】
炭素からなる鉛筆芯であって、気孔率が 15~35%であり、気孔の占める全容積に対して、0.002≦a≦0.05(μm)の範囲にある気孔径 a を有する気孔の占める容積の割合 A(%)と、0.05<b≦0.20(μm)の範囲にある気孔径 b を有する気孔の占める容積の割合 B(%)との関係が、1.1<A/B<1.3、A+B≧80%であり、鉛筆芯の径の 50%を占める中心部に存在する気孔径 a を有する気孔の容積の割合(A1)が 0.8≦A1/A≦0.9 であることを特徴とする鉛筆芯。
上記請求項1に対する[拒絶理由の概要]は、以下の通りである。
“鉛筆芯の気孔率、気孔径、気孔分布の制御は難しく、原材料や、混練条件、押出条件、焼成条件等の多くの製造条件が密接に関連するものであることが出願時の技術常識である。しかしながら、発明の詳細な説明には、原材料や上記の製造条件をどのように調整することにより本発明に係る鉛筆芯を製造することができるか(特に、径の異なる 2 種類の気孔の容積量及び気孔の分布状態を制御する製造条件)については記載されておらず、またこれが出願時の技術常識であるということもできない。よって、これらの原材料や製造条件を設定するためには、当業者に期待しうる程度を超える試行錯誤や複雑高度な実験等が必要である。したがって、発明の詳細な説明は、請求項 1 に係る発明を当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されていない。”
しかし、無効審判や異議申立ての理由として、実施可能要件違反を主張することは、容易ではない。
(続く)